はっぴーくろーばー日記

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子育て応援サークル「ハッピークローバー」のブログです。子も親も先生も、み~んな笑顔で幸せにな~れ!生きてることが「ハッピー」だ!

学校に通うということ、その2。

少し前の記事で、子供たちが学校に行くことの難しさ、難しくさせていることへの疑問を書きました。
今回も、そのことを書いてみたいと思います。

 momoのお友達で、はぴくろメンバーであるI君は、呼吸器を着けています。先日の健康フェスタで一年ぶりに会ったI君は、バギーの後ろにとても小さな呼吸器を乗せて、顔色も良く、以前よりふっくらしていて、体格もずいぶん大きくなっていました。数か月前に呼吸器をつける手術を受けて、酸素がきちんと行き渡るようになり、体にかかる負担やストレスがずいぶん軽減されたようです。前は体調の変化で学校に行くことが難しく、先生が訪問されての授業だったそうですが、今はとても元気で、毎日学校に行っているそうです。ただし、「呼吸器を着けている」ということだけで、保護者の付き添いを求められ、お父さんは現在長期の休暇を取られて毎日I君の学校に付き添っておられます。その休暇も10月いっぱいで終わり、11月からは、今年2月に生まれた弟のK君を連れて、お母さんはI君の付き添いに入られます。
 I君は、学校が大好きです。呼吸器を着けていなかった時も、体調の安定しない中でも、少しでもいい時を見つけて、学校に行き、精一杯楽しんでいました。しっかりした呼吸はあるけれども、なかなか酸素をうまく取り込めないので、学校に思いっきり通えるように、そしてより充実した毎日を重ねることができるように、苦しい苦しい手術を乗り越えて、I君は、呼吸器を着けたのです。でも、そこで学校からI君に出されたのは、「呼吸器を着けている子は学校に来てはいけない。」というものでした。学校に通えるように、そしてもっとたくさんの経験、体験を積むことができるように、お友達や先生ともっとたくさん一緒にいられるように、そう願っての呼吸器装着だったのに、「呼吸器を着けている」ただそれだけのことで、家庭以外に最も安心して、信頼して過ごせるはずの学校に通えない。もし通うとするならば、保護者が一日中付き添っていなければならない。こんなことって、あっていいのでしょうか。
 「呼吸器を着けているだけで」と書きました。確かに、私は呼吸器のことはよくわかりません。その取扱いがどれだけ難しく、専門性を要するものか、わかりません。そして、生命維持のために呼吸器を着けている人もたくさんいるでしょう。呼吸器が少しでも不都合を示せば、即、命の危険にさらされる人もいるでしょう。呼吸器のことをよく知らない者が口出しすることではないのかもしれません。でも、I君は、しっかり呼吸ができています。学校に元気で通いたいから、呼吸器を着けたのです。「呼吸器ケアはできない、だめだ」ということを前提に、できない理由をこじつけているようにしか考えられません。

 私は、私たちは、親です。子供の命に責任を持ち、子供を健やかに、幸せに、育てていく義務がある。わが子のことは、誰よりもわかっている。この子がどれだけ学校が好きか。どれだけお友達や先生と積み重ねる日々を愛おしく思っているか。一日一日を重ねていくことが、どれだけ大切なことか。その日々は、時にはその子の命も救い、生きる希望になっていることを、私たち親は知っています。こんなにも愛して大切に思っている学校生活を、奪う権利が、いったい誰にあるというのでしょうか。
 しょうがいを持つ子の親は、わが子が生きてくこと、世の中に出ていくことで生まれる健康的生命的なリスクはしっかりわかっています。学校で、通常考えられる範囲での注意やケアをしていただけるのならば、それ以上は望みません。特別な医療的ケアを必要とする子が学校に来た場合、「何かあったら」ということをまず心配されるのでしょう。momoが食事を採れなくなって、経管栄養を必要とすることになった時、やはり「何かあったときは、責任とれない」という壁が、目の前に立ちはだかりました。でも、親は、わが子を学校に行かせる以上、「何かあったとき」の覚悟は、じゅうぶんにできています。

 どうか、ひとりひとりを見てください。「呼吸器を着けている子」でひとくくりにしないでください。その子の身体的な背景、経過、現在の状況を、個別に判断してください。呼吸器が不安なのならば、対処法を見つければいい。専属の看護師さんに呼吸器ケアの習得をしてもらうとか、緊急時の対処法を保護者としっかり話し合って、密接に連携していけば、できないことはないと思います。

 I君は、11月からお母さんの付き添いで学校に行かれます。まだ1歳にもならない、弟のK君を連れてです。K君の体調不良の時、お母さんの用事の時、元気で学校に通えるはずのI君は、学校を休まなければならないこともあると思います。本人の休む理由もないのに、学校に行けない。一日一日を大切に、毎日が貴重で宝物のような日々なのに、一番大好きな場所で過ごすことができないのです。

 I君だけではありません。私たちの仲間には、理由にならない理由をこじつけられて自由に学校にも通えない子たちがまだいます。「しょうがい持つ子だから、この程度は我慢しなさい。障害持つ子の親だから、こんなことはやって当然」という考えは、もうそろそろやめてもらいたいのです。
by hapikuro | 2011-10-15 11:19 | 日々のいろいろ