はっぴーくろーばー日記

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子育て応援サークル「ハッピークローバー」のブログです。子も親も先生も、み~んな笑顔で幸せにな~れ!生きてることが「ハッピー」だ!

はぴくろ長崎旅行2012、パート1。

4月28日~29日の二日間、「ハッピークローバー第2回強化合宿in長崎~平和の大切さを思い、仲間の大切さを感じよう。そして、みんなで楽しもう!」(長いぞ)に行ってきました!!
今回は、はぴくろメンバーからの参加が残念ながら少なく、momoのクラスのお友達にも参加を募ったところ、3人の子どもたちとそのご家族が参加してくれました。そして、今回の旅行をきっかけとして、はぴくろの新メンバーにもなっていただきました!!

旅行の日程は・・・
一日目:熊本港集合、フェリー「オーシャンアロー」に乗って長崎県島原へ。島原からバスに乗り、長崎市内に移動。長崎平和公園周辺を散策。その後、西海市の西彼青年の家で宿泊。
二日目:西彼青年の家出発、ハウステンボスへ。3チームに分かれ、ハウステンボス巡り。その後、バスに乗り、高速道路で熊本へ帰り、熊本港解散。

さらっと書いてみましたが・・・これかかなりの強行軍になっちゃいました。
その話は追々・・・。

まずは、熊本港集合です。
心配していたお天気ですが、当日は素晴らしい晴天でした。
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行ってくるぞ、お~。みんなで、決意表明(?)。


フェリーの中では、笑顔いっぱいでした。
船酔いを心配した子もいましたが、30分という短い乗船時間と、みんなで乗る船の楽しさに、あっという間についてしまい、全く大丈夫でした。
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momoの隣のY君は、今回初めての県外旅行だそう。数日前まで発熱で、心配でしたが、元気になって参加できました。今回の旅行で、またひとつ自信をつけてくれると嬉しいです。


島原到着後、バスに乗り、長崎市へ。今回の参加者は29名。バスに乗りきれなくなったので、我が家の愛車VOXYさんにも出動いただきました。VOXYには、大人6人が乗り、アダルト感満載。みんな年齢が近いこともあって、わあわあと賑やかな旅になりました・・・。
島原市から長崎市への移動は、2時間かかります。バスでの移動はやはり大変。予定していた休憩時間よりもゆっくりめに時間が必要となりました。momoやY君はバギーに乗ってるので、バスの乗り降りにも時間がかかります。トイレや着替えも、普通のトイレではできないので、みんなが休憩でバスを降りた後に後部座席を使って横になったり、着替えたりしました。その都度みんなに待ってもらうのですが、みんなは本当によく待ってくれました。


そして、長崎市、平和公園へ到着。
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抜けるような青空のもと、平和祈念像の前で。
平和祈念像の姿には、すべてに意味があります。
天を指さしてまっすぐ伸ばした右手は、空から落ちてきた原爆の脅威を。
水平に広げた左手は、平和への祈りを。
横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた足は原爆の恐怖を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っているのだそうです。
これからこの世界を担っていく子どもたちは、祈念像に向かって、原爆や戦争犠牲者の方々のご冥福を祈り、平和な世界を作っていくと誓いを立てました。

全長10メートルを超える像を前にして、子どもたちは何か感じてくれたでしょうか。


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平和祈念像の隣にある、折鶴の塔に、はぴくろのみんなで作った千羽鶴を捧げます。
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そして、場所移動。平和公園のすぐ近くにある原爆落下中心地に向かいます。
原爆落下中心地は、平和公園の隣の原爆公園内にあります。
落下地点には、御影石の塔がたっていました。

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この上空で、原子爆弾は爆発しました。

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ここから、さらに1キロほど離れた山王神社へ。
長崎市には、原爆の悲劇を忘れないための碑や像が、たくさんあります。平和公園にも、原爆公園にも、多くの碑や像がありました。そして、そこここに多くの折鶴たちが捧げてありました。小学校時代に修学旅行に来たときは、そんなことには気が付かなかった。大人になって来てみて、改めて長崎は平和への祈りに包まれた街なのだということを思い知らされました。原爆投下という、世界でも他にない、最大の悲劇。何十年と草木は生えないだろうといわれた長崎は、木々の艶やかな緑、そして人々から送られた千羽鶴の鮮やかな色が目に染みる、とても美しい街になっていました。小学校時代だけでなく、大人になってから、そして、子を持つ身になってから、また来るべき街なのだな、と思いました。
山王神社への道で、夏を思わせるような日差しの中、一生懸命歩く子どもたち。きついだろうけれど、この子たちにも何か思うことがあるといいなあ。大きくなって、自分の子どもたちと、もしここに来ることがあれば、今日のことを思い出してくれるといいなあ。そう思いながら、歩いていました。


そして、山王神社へ到着。
この神社には、原爆の被害を受けてひん死の状態になりながらも復活し、大木に成長したクスノキと、爆風で半分を吹き飛ばされてもたっている、「一本柱の鳥居」があります。

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クスノキは、木の内部は空洞になっているそうです(子どもたちが見てきてくれました)。周りにはしごがかけられるほどの大木。空洞があっても、緑の葉っぱが生い茂り、生命力にあふれています。

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「一本柱の鳥居」は、神社に向かう参道の急な階段の途中にあります。そばには、倒れたもう片方の柱が横たえて置いてありました。立派な鳥居ですが、爆心地から1キロも離れているのにこんな立派なものが倒れる爆風と、片方の柱のみでも立ち続けている鳥居の両方に衝撃を受けました。


最後は、浦上天主堂へ。

ここまでかなりの距離を歩きましたが、子どもたちは本当に頑張ってくれました。途中でアイスを食べたり休憩をしながら、29人で長崎の町を歩くことが、なんだかとても楽しかったのです。momoのバギーやY君、N先生の車いすは、できる限り子どもたちが押しました。できるだけ階段のない道を通ろうと思って計画を立てましたが、山王神社への道にはどうしても階段があって、そこは、バギーを男性陣みんなで抱えてくれました。「みんなでやれば、なんでもできる」という、はぴくろの思いを、またひとつ実現することができました。

急な坂を励ましあいながら登って、浦上天主堂へ到着。
レンガ造りの素晴らしく大きな教会です。当時東洋一の規模といわれていた赤レンガ作りの浦上天主堂は、爆心地から約500mに位置していたため、原爆により一瞬にして崩壊しました。現在の天主堂は昭和34年に再建されました。
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比較的新しいレンガ造りの建物の近くに、原爆の爆風に耐えた像が立っていました。
天主堂の中には、原爆で壊れてしまい、瞳を失ったマリア像の頭部のみがありました。爆風で壊され、熱で焼かれ、瞳を失ってもなお、この世界の平和を祈り続けているようでした。


平和公園に戻って、今日の宿泊地である西彼青年の家へ。

青年の家に向かう途中、なんと我が家のVOXYさんが力尽きてしまいました。バッテリー上がり。大人6人乗せてのアダルト旅行がそんなにつらかったのか。何もこんなところで壊れなくても・・・(涙)。たまたま休憩で立ち寄ったコンビニで、隣に止まった車からエンジンを起こしてもらい、VOXYは、バッテリーを交換するために長崎市方面に逆戻り。新しいバッテリーを、H君のお父さんがぱぱっと交換してくださり、無事に青年の家に到着しました。


夕食、入浴後は、翌日のハウステンボス巡りの作戦会議。
3チームに分かれ、チームリーダーを中心に、ハウステンボスのどこに行きたいのか、お昼ご飯はどこで食べるのか、休憩はどこで取るのかなど、計画を立てました。
明日も楽しみだねえ。


パート2に続く。
by hapikuro | 2012-05-07 15:18 | 活動報告